2003/5/7〜9
長崎ツアー
 身障者の「旅行がしたい」という夢を叶えてくれるチックトラベル・ハートTOハート。この旅行会社のツアーで何度も海外旅行を体験している友達の話を聞いていたが、そのうちに、自分も一度…と思うようになり、この冬からお誘いいただいていた長崎ツアーに、思い切って参加してみた。


一日目。
 朝5時、今回同行してくれる義妹のSちゃんに頼んであったモーニングコールで起こしてもらう。5時半、何とか家を出られ、弟運転の車で集合場所を目指す。しかし途中の道で事故があったらしく、思いがけず回り道をさせられたり、ICを過ぎて津市内に入ってからは、ちょうど出勤のラッシュ時間と重なったため、仲々思うように進めず、はたして集合時間に間に合うんだろうかと、車の中でじりじり。それでもなんとかぎりぎりセーフで間に合ってほっとする。前もって今日のこの時間にここへ来る事を知らせてあったネット仲間のCさんとのご対面もあわただしく果たして、リフトバス“太陽号”に無事乗車。添乗員のMさんのビルディングなどについてのガイドを聞きながら、名古屋空港へ…。
 11時前、名古屋空港着。そこで名古屋からの参加者や、応援の全体的ボランティア2名も加わる。これからのスケジュールを確認し合い、各自に配られたお弁当を受け取り、手荷物検査やチェックを受けて、ANA221便へ搭乗。12時過ぎ離陸。
 この日は朝から小雨がしょぼ降る暗い雨雲で覆われた空だったが、その雲を突き抜けるとそこには、所々ピンク色に染まったきれいなスカイブルーの空間が広がる。空港で配られ、機内に持ち込んだお弁当を食べながら、時々窓の方に目を向け。一時間余りの空のお散歩を楽しむ。1時20分、福岡空港へ着陸。
 そこから何台かのリフトワゴンタクシーなどに分乗し、福岡から長崎の街並みを車窓ごしに見物しながら、ハウステンボスへ…。
 ハウステンボス到着後、夜の7時まで自由行動の時間をもらって、各自思い々々の場所へ散らばる。今の季節はここもお花がきれいで花好きな母へのおみやげも兼ねて、あちらこちらのお花をバックに私も何枚かの写真を撮った。自分たちのお仲間を見つけては、一緒に写真を撮ったり、カメラ交換をしてシャッターを押してもらい会ったり…。「もしこんなお店に行ったら、冷や奴風のクリームチーズを買って、そこから送って」などと、ある友達から有料みやげの注文をうけたまわっていたので、風車の近くのそのお店を探し、おしょうゆやけずりぶしとセットになったハウステンボス特製のクリームチーズを買って、そこから宅急便で送った。そのお店出たところで雨が降り出して来た。お天気悪いと聞いていたから、私もSちゃんもカッパを持って来ていたが、先にホテルの部屋に運んでもらった煮物の中に入れたままだったという間抜けな話で「あーぁ」とため息つきあうしかない。まぁ旅にはアクシデントやハプニングはつきものだから、まぁこんなものたろうとひらき直って、ずぶ濡れになりながらまわり歩く。楽しみにしていたハウステンボス巡りは無情の雨でとんた結果に終わった。
 この夜を過ごすのは、ハウステンボスに隣接したホテル“ローレライ”。まずは自分の部屋でぬれた服を着替えて、レストランでみんなと一緒に夕食。和食系のコースだった。食事の後再び部屋に戻って就寝。朝が早かったのと、雨に濡れた騒ぎとで、Sちゃんは早くもお疲れ気味で、すぐに寝息を立て始める。蒸し暑い夜だった。

二日目。
 朝6時前目覚める。Sちゃんが朝シャン&シャワーを浴びさせてくれるというので、ご機嫌!。朝からさっぱり気分にさせてもらって、7時過ぎ、レストランで朝食。バイキングだから、自分の好きなものを好きなだけ食べられるが、いつも朝はあまり食べられないので、控えめに取っていただく。食事の後ホテルを出発。
 この日から2日間はリフトつき観光バスであちらこちらの観光地を巡るらしい。もちろん楽しくて可愛いガイドさんも乗っている。
 長崎は“原爆の街”と“ロマンの街”の二つに分かれているらしいが、まずは“原爆の街”の方から案内してくれる。ガイドさんの指示してくれる右や左に目を向けると、バスの窓からはメガネ橋やオランダ阪がちらりほらり…。最初に見学したのが原爆資料館で、原爆の悲惨さを物語る写真や、その時誰かが着ていた服、建物の瓦礫の破片など生々しいものばかり。そこから出て、平和公園の銅像の前で記念写真を撮る。
 石畳の長い急な坂道を登って、グラバー邸にも行った。こんな古い邸宅が当時の形のまま管理されて観光用に用いられているのだからすごい。坂道をのぼる時は大変だが、帰りは下り坂になるから、楽だろうと思われるかも知れないが、車椅子に乗っている者にっては下り坂の方が怖い、乗っている者が怖がるから、介助者は後ろ向けに進まなければならない。こんな急な坂道自分一人だって大変なのに、このツアーの介助者の皆さんはよくやるよ…と思う。我が母上なんかだったら、きっとバスから降りなかっただろう。若いSちゃんに同行してもらってよかった。
 この日の昼食は長崎名物の皿うどんや、ちゃんぽん麺を食べさせてくれる中華飯店で食べた。皿うどんというから、焼きうどん風のものを想像していたが、細いバリバリの乾燥麺に熱い野菜のあんかけをかけ、それで麺を柔らかくして食べるらしい。あわてて固いうちに食べた人は、そのパリパリ麺で口の中をチクチク刺して痛いと言っていた。私は太麺の野菜たっぷりスープで煮込んだちゃんぽん麺の方がおいしかった。
午後の目的地へ向かうバスの中で、ガイドさん、長崎へ原爆が投下される前後の話をしてくれたが、よくこんな長い話を原稿もなしにできるものだと感心させられた。周りは居眠り気味の人が多く、私も時々コックリしながら、その話の感動に浸っていた。
 その後降りた所は、昔の武家屋敷の町並みを再現したような“ミニ出島”。小学生の修学旅行生の団体でごったがえしていた。
 今夜泊まるホテルは嬉野温泉だが、ちょっと変わった所らしい。そのホテルの前まではバスのような大型車両は入って行けないとかで、従業員が途中まで迎えに来てくれていた。バスを降りた私達の車椅子を従業員の人達が押して案内してくれたんだが、ホテルが見える所まで来て、電動車椅子のRさんが「わぁー!」と絶叫。朝のグラバー邸の坂よりも急な坂道がそこからホテルまで続いているのだ。そして正面玄関からではなく裏口のような所から入れていただいたが、そこからも普通のエレベーターじゃなく、エレベーターの中身だけ取り出したような箱の昇降機でフロントまで…。フロントも全然それらしくない普通の家の居間のような部屋。 
 各自部屋のカギを渡してもらい、一旦自分の部家へ案内されるが、そこまで行くのにも何カ所か段差を超えなければならず、何人かの従業員が私達の移動を助けてくれた。段差や坂道など私達には不便な面が多いが、その分を従業員達の真心サービスでカバーしてくれようというのだ。食堂にも彼らの移動サービスで案内される。
 夕食は前菜からデザート、コーヒーまでの本格的ディナーのフルコース、全部で7〜8皿あっただろうか。もちろん日頃仲々ご縁のないステーキもあった。留守番の弟や甥っ子達の顔がちらつく。6時半頃から9時前後まてのゆったりしたディナータイムだった。
 その後大浴場の温泉を楽しむ人達もいたが、段差があって私には無理かも知れないので、あきらめて部屋へ入る。ダブルベッドが二つ並ぶ広々とした部屋で、相棒のSちゃんは留守番の家族に報告コールをしていた。それから着替えてベッドの上でテレビを見ているうちに相棒は夢の国へ行ったようなので、私もテレビを消して寝ることにした。

三日目
 この朝もシャワータイムからスタート。その介助をしてくれながら、Sちゃん、「モーニングシャワーがくせになって、家へ帰ってからもお母さんにその要求するんと違うやろか、姉ちゃん」と、そんな心配もしてくれちゃって…。本当にそんなくせがついちゃったら、どうしてくれます、Sちゃん?
 朝食は昨夜のうちに洋食を選んでいたので、パンとサラダとタマゴと飲み物(私はアップルジュース)
食べ終わってチェックアウト。又ホテル従業員の移動援助でバスの待つ所まで行き、そこでホテルの人達とお別れ。
運転手さんもガイドさんも昨日と同じ顔だが、ガイドさんの着ているシャツブラウスの色が、昨日のピンクからオレンジ色に変わっている。
 車窓から見える街並みや風景について、又ガイドさんの楽しい案内を受けながら、最終日コースをバスは動き出す、途中一回トイレ休憩を取り、佐賀県に入る。
 この日のメイン目的地は、何年か前大噴火のあった雲仙普賢岳。遠くから見える山肌には、火山灰や土石流の流れ込んだ跡がくっきりと残っている。土石流に一階部分が埋まり、二階部分だけちょこんと顔を出しているような一軒の家の周りをすっぽりとドームで覆い、その家の周りを観光客がぐるりと一周できるようになっていて、私達もそのドームの中を回って来た。大きな石ころの中からちょこんと顔を出した二階の窓から、「こんにちわ」と誰かが出て来そうだ。それにしてもこの家の人はどうなったのだろう?
又、大噴火体験ドームという所にも案内される。私達は車椅子をしっかり金具で固定されたから、何事が起こるんだろうと思っていると、巨大スクリーンに大噴火の映像が映し出され、土石流が吹き上げ流れ出す大音響、それに合わせて床がぐらぐら動き出す仕掛けで、もう迫力満点!。隣の男性は目を手で覆っていたほどだ、
その山からおりて昼食。この辺の名物料理という、お餅入りの鍋料理の定食を食べさせてもらった。味はまずまずだったが、車椅子で入り込んで食事を楽しむには、ちょっとスペースが狭く、窮屈な感じだった。
 その後、温泉が噴き出している所へ行き、硫黄の臭いと湯煙を浴びながらしばらくお散歩。こんな所で卵をゆでたら、本物の温泉卵ができるって訳だ。
 最後に寄ったのが土産物店で、それまで何も買えずにいた私は、ここで買わなければと長崎名物のカステラを買う。サービス精神満点のお店で、たっぷりと試食もさせてくれ、買った人にはおまけまでつけてくれた。
5時半頃長崎空港へ着き、この二日間お付き合い下さった運転者さんやガイドさんとお別れする。
 しばらく空港の中をうろうろして、JAS472便へ搭乗。この夜はお天気が良く、小さな窓からはずっと夜景を楽しむことができた。まるで宝石箱のようにきれいな夜景だった。
 予定通り8時半頃名古屋空港へ降り立つ。そこから“太陽号”で身障者センターへ…。センターへはすでに弟が迎えに来てくれており、3日間のお仲間達とさよならして、それから一番長い行程の我が家まで…。真夜中の2時過ぎ、無事帰り着いた。


 介助者にも楽しんでもらう事をモットーにしている旅行会社のツアーだから、Sちゃんにも楽しんでもらえる部分もあればと思い、お誘いしたのだが、私につきあってくれるのも初めてのSちゃんには、ちょっとそんなゆとりはなかったようだ。色々大変な思いをさせてしまったと思うから、「もう姉ちゃんと行くのはこりごり」なんて言われても仕方ないなぁと思っていたが、その後の手紙の中で「又誘ってね」というお言葉がもらえて嬉しい。